京都 大本山東福寺塔頭 願成寺

願成寺について

阿保山願成寺小史

願成就院のこと、平安時代はじめ

願成寺の山号「阿保山(あぼざん)」は、桓武天皇の第一皇子であった平城天皇の長子 ・ 阿保親王(『伊勢物語』の在原業平公の父君)に由来します。
願成寺はもと「願成就院」と号し、平安時代初期に阿保親王が国の平安と民の幸せを発願して建立されたお寺でした。 元は現在地より数百メートル南の深草の地にあり、現在も深草には「願成町」という地名が残っております。

阿保親王(「前賢故実」収録)

願成寺境内に鎮まる阿保親王塚と宝篋印塔

願成寺の成立と再興のこと、鎌倉時代はじめ

願成寺は阿保親王が建立された当時は天台宗のお寺でしたが戦乱により疲弊し、
鎌倉時代の初め(1303年)に東福寺開山 ・ 聖一国師(円爾弁円)が再建し臨済宗に改め真應禅師(宏海南州)を開山としました。
室町時代には足利義満により京師十刹に加えられるほどの名刹となり大いに隆盛しました。

しかし中世の兵火にかかり再び荒廃することになります。

東福寺山内の現在地に移り、東福寺塔頭として再興されたのは江戸中期の寛延年間(1748-51)のことです。
また隣接していた大慈院(開山は東福寺九世 癡兀大慧)も合わせてお護りしております。

大慈院開山・佛通禅師

本尊釈迦如来

願成寺開山・真應禅師

開基・阿保親王のこと

当山の開基・阿保親王は数奇な運命にもてあそばれた悲劇の皇子でした。
親王の父・平城天皇は弟・嵯峨天皇と皇位をめぐって争われ、親王もその争乱に巻き込まれ、大宰府へと流されました。 この事件は「薬子の変(くすこのへん)」として歴史に残る大事件でした。

しかし親王の苦悩はこの事件だけにとどまりませんでした。
その後30年余を経て再発した嵯峨天皇系淳和天皇系の皇位争いである「承和の変(じょうわのへん)」に再び巻き込まれ、親王は心痛のあまり門を閉ざして出ようとなさらず、西暦842年、51歳でお亡くなりになりました。

親王は才能豊かで胆力があり情に篤いお人柄でしたから、時至れば大きな仕事をなさったことでしょう。残念なことに、まだ政治の基礎が不安定であった平安時代初期という時代に天皇の長子という身分にお生まれになったため、政治に翻弄され無念のうちにご生涯を終えられたのです。
時の朝廷は親王を丁重に扱われ、最高位である「一品(いっぽん)」の位を贈られました。

一品阿保親王の御位牌

平成の大改修と池泉のこと

 平成12年には庫裏・本堂・前庭の大改修も無事終了し落慶法要を執行いたしました。
 また親王の御像をお祀りする親王堂も平成16年落慶致しました。

 静寂に満ちた奥庭池泉には四季それぞれの花が咲き、小鳥がたわむれます。

願成寺奥庭

親王堂

庫裡前庭
願成寺について 永代供養と納骨 苦労消除祭 お問い合わせ
Copyright